サービス&チャレンジ

小売の世界に人の温もりを与える─「SLOW RETAIL」が創出する世界とは

現在、デジタル化が加速度的に進む中、人びとの生活を支える小売業の多くが、さらなる効率化・最適化をめざしています。しかし、利便性が高まる反面、かつてはあたりまえに存在していた人のふれあいや時間のゆとりが減ってきています。NTTデータではこの現状に危機感を覚え、新しいコンセプトである「SLOW RETAIL」を提唱し、人びとの生活の質を高めることに軸をおいた新たな小売モデルを実現しようとしています。SLOW RETAILの考え方に共感し、NTTデータと共同でプロジェクトを進めるデザインファームTakram Japan株式会社とともに、SLOW RETAILのあるべき姿について語りました。

人物紹介

(左から)
佐々木 康裕(ささき やすひろ)
Takram ビジネスデザイナー/ディレクター

大石 拓馬(おおいし たくま)
Takram ストラテジックデザイナー/ディレクター

 田邉 裕喜(たなべ ひろき)
NTTデータ ソートリーダーシップ・マネジャー

 SLOW RETAILとは

──まず、SLOW RETAILとは何か教えてください。

田邉さん SLOW RETAILとは、当社が発案した小売業における新しい概念です。これまで小売業では、生活者が安全で安価な商品をいつでもどこでも手軽に入手できるよう、チェーンストアマネジメントをベースに合理的なオペレーションやサプライチェーンを追求してきました。さらに近年では大手小売を中心にAIやロボティクスなどのデジタル技術を用いてさらに省力化や最適化を推し進めています。これらの取り組みの根底には、買い物をもっと便利でお得にすることで業界シェアを高めていくという考え方があり、この成長重視型の思考を当社では「FASTモデル」と定義しています。

FASTモデルに向けた取り組みはこれからももちろん重要ですが、これの究極系は、自分に合った商品がボタンひとつで簡単に手に入る、という世界です。人と接する機会はどんどんなくなっていきますし、買い物に費やす時間は短ければ短いほどよい、という発想につながります。一方で、元来買い物はこうしたモノを入手するという機能的な側面だけでなく、家の外に出て顔なじみの店員さんと挨拶したり、ばったり出くわした近所の人と話し込んだりと、日常的な交流のきっかけとなる行為でもありました。また、そういったゆとりのある時間が日々の生活に充実感をもたらしていたと思います。

買い物シーンに限らず、人とのつながりや時間のゆとりは現代では減っていく傾向にあります。そこで、小売が失ってきたこれらの要素を現代の社会にフィットする形で再構築し、買い物やそれに付加された体験を通じて「心が豊かになる」、あるいは「幸福感をもたらす」ような新たな小売モデルを実現したい、という想いから『SLOW RETAIL』というコンセプトを考案しました。この生活の質を高めるということを追求する方向性を当社では「SLOWモデル」と呼んでいます。
 

合理化を追求する従来の発展モデルではおざなりになっていた「SLOW」な要素を高めることをめざす

SLOW RETAILを実現するには、消費者同士が感動を分かち合ったり、地域で交流を深めたりするようなコミュニケーションの接点となるチャネルや体験のデザインが必要だと考えています。そこでTakramさんにお声がけしたところ、SLOW RETAILの考え方に共感いただいたことで、今回のプロジェクトが始動することになりました。

SLOW RETAILを実現するための方向性

──どのようにSLOW RETAILを実現しようと考えているのでしょうか。

田邉さん: そもそも「スロー」というのは、単に「スピードがゆっくり」という意味ではなく、そこに訪れる人びとがそれぞれの距離感やペースで過ごし、自分自身が「意味がある」「充実している」と思えるような生活を過ごせる、ということを比喩的に表現しています。そのような場や体験を実現するためには3つの要素を満たすことが必要だと考えています。

ひとつめは、人とのつながりです。誰かに感謝したり、共感したり、応援したり、そういった想いを交換しやすくすることで、温かみのあるつながりが自然と生まれるでしょう。

ふたつめは、貢献や所属の実感です。提供されたサービスをただ享受するだけでなく、自分自身が場や体験の実現に何かしら関与し、貢献できると、やりがいや仲間意識のようなものがめばえ、生活の豊かさにつながると考えます。

そして最後に、没頭できる楽しみです。単によい商品が買えるだけでなく、初めて出会うモノにワクワクし、そこに関わるヒトのこだわりに触れ、モノの先にある新しい消費体験や生活習慣などにハマる、そのようにして楽しみの幅を広げたいと思っています。

人の生活においてもっとも日常的な行動・習慣の一つである「買い物」や、それを生業とする「小売」という事業体を通じて、先に挙げた3つの要素を満たし、「スロー」なライフスタイルを実現しよう、というのがSLOW RETAILの基本的なコンセプトです。

SLOW RETAILが提供する3つの価値が実現されることで、生活者・店舗スタッフ・生産者などそこに関わる人たちによる活発なコミュニティがおのずと形成され、そうしたコミュニティがさらに3つの価値を高めていく。小売はそのような循環のハブ的な役割(コミュニティ・ハブ)を担っていけるのではないかと考えています。

──そもそも「SLOW RETAIL」のコンセプトが生まれたきっかけは何だったのでしょうか。

田邉さん:私がスペイン赴任中に感じたスローな生活に感銘を受けたことにさかのぼります。よく訪れていた市場などでは、誰もが買い物をしながらお店の人と会話を楽しんでいるんですよね。日本に帰国してみると、人と人とのつながりが希薄で、買い物の時にもどこか“ときめかない“ことに気付きました。スペインの市場はまだまだ個人商店が多くて活気もあり、市場の中のバルで土曜午後早めに仕事を終えた店員とお客さんが談笑しているのを見たこともあります。品揃えもお店ごとの個性があふれていて、自然とふれあいが生じる空間が形成されているのを思い出して、大きなギャップを感じました。

昨今ではデジタル化が進んでおり、効率性や生産性ばかりが追及されているため、それがギャップを広げている一因になっていると感じます。それならばむしろ、そうしたギャップを解消する方向でデジタルを活用できないかと考えたのが、SLOW RETAILのコンセプトが生まれることになった一番のきっかけです。

──SLOW RETAILのコンセプトを初めて聞いたときどう感じましたか。

大石さん:課題感やめざす方向性について強く共感した一方で、フードデリバリーやECサイトに依存した自分自身の買い物生活に、大きなギャップを感じました。ただ、自分と同じように、快適さばかりを追求している現状に潜在的な問題意識を持っている人はたくさんいるはずです。プロジェクトを通してSLOW RETAILというコンセプトを社会に発信することで、小売店の構造を何か変えられるかもしれない、と強く思うようになっていきました。

対談中の大石 拓馬さん

佐々木さん:私自身、消費者の価値観の変化について考えることが多いので、テーマ設定には大いに共感しました。アメリカに留学していた2013年当時、現地のファーマーズマーケットではすでにキャッシュレスになっている等、テクノロジーが浸透していましたが、人びとがとてもハートフルなんですよね。SLOW RETAILは、そうしたところにもつながるのではないかと思いました。

 

対談中の佐々木 康裕さん

田邉さん:アメリカといえば合理的という印象がありますが、意外にスローな生活への関心が高いのですね。

佐々木さん:テクノロジーが包括するエリアがどんどん広がっていることへの違和感、もしくは危機感のようなものがアメリカではあるのかもしれませんね。そうした動きはヨーロッパでも同様ではないでしょうか。

田邉さん:そうですね。ヨーロッパは保守的な文化があるとよく言われますが、「保守」というのは本来、変化を受け入れないという意味合いではなく、社会が無理なく受け入れられるペースで変化することを指します。そして欧州には、進化を徐々に社会に受け入れる文化が歴史の中で根付いています。対して日本の場合、チェーン店が急速に普及する一方でシャッター街が増えるなど、変化を社会が受け入れるペースよりも利便性を追い求めるスピードが上回っている傾向にあるのではないでしょうか。

「スロー」の共通項を探し出し、いかにスケールしていくか

──SLOW RETAILを日本に普及、浸透させていくにあたり、どのような点が障壁になっているのでしょうか。

田邉さん:もちろん日本の小売業の中にも、SLOW RETAIL的な方向へと向かおうとしている企業もあります。ですが、今までの仕組みを大きく変えないといけないため、従来のやり方で強い成功体験がある企業ほど、それとは別の方向に舵を切るのは抵抗を感じるでしょう。そもそもチェーンストア自体が経済合理性を追求しながら発展してきたモデルです。

大石さん:SLOW RETAILはかなり広い領域に関わっていて、さらに人それぞれが感じる心地良さなどの基準も十人十色なので、誰にも共通するような「スロー」の落としどころを探すのが難しいですよね。とりわけ今回のプロジェクトでは、多くの人びとが体験できるような日常的なスローを追求したため、よりハードルが高くなっていたのも事実です。ただ、だからこそチャレンジしがいがありました。

佐々木さん:世の中にはスローと言えるようなコンセプトを掲げている店舗は数多くありますが、そうした良さは独立した店舗でもあるからこそ打ち出せているのであって、チェーン店だとわかった瞬間に冷めてしまう消費者も中にはいらっしゃいます。私たちとしては、スローな体験を1つの店舗にとどめずに、どうやってスケールしていくかというのが一番の悩みどころでした。

 

田邉さん:まったく同感です。そもそも「スロー」という言葉自体がまだ世の中できちんと定義されておらず、どの要素を切り取るかというのは人によって感じ方が違うので、そこを悩みながら進める必要があります。現段階で私たちとしては先ほど説明した、3つの要素を満たすことでコミュニティハブを実現することがスローにつながると考えプロジェクトを進めていますが、今後も引き続き悩んでいくべきことだと思っています。

また、「スロー」と「ファスト」というのは対立関係にあると思われがちですが、私たちがめざしているSLOW RETAILは、どちらか一方ではなくそれぞれのバランスをとることでもあります。ただ、そこが重要かつ難しいところでしょう。現代の消費者にとっては、高い品質の商品を手ごろな価格で入手できることがあたりまえになっていて、その基準を大きく下げることは受け入れ難いと思います。たとえば、消費者が感じる体験はスローだけど、裏側のオペレーションはしっかり合理化されている──そのミックスの度合いこそがSLOW RETAILの肝であると言えます。どのようにミックスするのかはまだ描き切れていません。今後も議論していきたいです。

佐々木さん:そうですね。消費者側にとっても、ローカルな要素を求めつつも、ECサイトとの連携で便利になってほしいという、相反するニーズがあるかと思います。そうしたニーズに応えながらSLOW RETAILを実現していくというのは、引き続き一緒に取り組んでいくべきテーマだと認識しています。

SLOW RETAILを実現するために

──最後に、今後のプロジェクトの展望について教えてください。

大石さん:これまでのお話しにもあったように、SLOW RETAILのコンセプトは新しいコンセプトなのでまずは多くの人に知ってもらい、そのうえで具体的にどのような行動を行い、そこからどういったメリットが得られるのかを伝えていくことが大事だと思います。なので、まずは「こんな世界はどうでしょうか?」と世の中にプレゼンテーションし、SLOW RETAILのコンセプトを啓蒙していきたいです。

佐々木さん:ビジネスの観点から言うと、今回のプロジェクトでは、NTTデータはあるべき姿を描きながら、そこのプレイヤーには自由に入ってもらい、必要となるインフラを作っていくというスタンスをとっています。そうしたスキームは、すべての新規ビジネスにつながる可能性があるのではないかといった期待もあり、当社としても何かしらの形で貢献できればと思っております。

田邉さん:まさにお二人に触れていただいたことが、当社が全社的に掲げる「Thought Leadership(ソートリーダーシップ)」活動の狙っていることでもあります。これまではクライアントの描く未来についてITを軸にしっかりと実現する、というのが当社の主なビジネスでしたが、これからは業界や社会にとって必要な変化の道筋を描き、そこに各企業を先導する存在になっていきたいのです。SLOW RETAILもそのような道筋の一つだと考えています。

現時点においては、SLOW RETAIL構想を実現するためのサービスやビジネス、テクノロジーの仮説を描いています。次のステップとして実際のフィールドでの実証実験へと踏み出していきたいです。そのために押さえるべきポイントも見えてきているので、ぜひSLOW RETAILのコンセプトに共感していただける方がいれば声をかけていただきたいですね。

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